知覚拡大旅行記 地球編

無限の可能性をひらく旅路の記録を綴ります。だれもが無限の可能性そのものである。

なにものでもない"わたし"と出会う

負けじゃんけん

というワードを初めて耳にした。

 

"勝ち"がじゃんけんの当たり前。

 

あいこを当てに行ったり

負けを当てに行ってもいいんだ。

 

 

 

周りの空気を自分なりに感じ取ったものを

大多数の大きく聞こえる声を

"当たり前"

"常識"と思い込んで

なすがままに

無意識に

意味も分からず

受け容れてきたこと

それを自分の"正解"として

疑いもせず

考えもせず

感じる心を抑え込んで

採用し

 

それ以外の"不正解"の道を踏んでしまうことは

"正解"安全に生きる道にはずれてしまうと

こわがっていた。

選択の根っこは"不安"。

 

そんなこわがりな自分をどうにか守りたくて

"不正解"をやってのける人を

さげすんだり、否定したり

責めたりして。

 

でも、

すこし井を出ると

色んな人がいた。

色んな意見があった。

そのとき自分の意見はまだ見えてなくて。

 

人が変われば常識は変わるものだが、

常識は一つだと思い込んでいた。

わたしは、周りの大人や社会に教えられた正解だけが正解だった。

そんなわたしの正解は、とどのつまり和を乱さず、自分を犠牲にしても集団と同調することだった。

和を乱さず同調するために、

その人の常識に合わせて擬態していたら、

色んな常識に囲まれて、

パニックになり、

身動きが取れずに

八方塞がり。

 

まさに井の中の蛙🐸

大海をちょっとだけ知って怯む。笑

 

そいでもって

そんな自分を情けないとまた責めて。

 

そのループが無限に頭の中で再生されてる

エネルギーの消耗が激しい

(疲れやすい、

肩こり、

頭痛い、

やる気が出ない、

眠い、、、etc)

理由のひとつなんじゃないかと思う。

 

 

もういいのだ。

もう自分のまんまでいいのだよ。

もうだれもなにも責めて苦しまなくていいのだよ。

恐れなくてもいいのだよ。

誰がどんなふうに思おうと自由なのだ。

反応する人は勝手に反応し

わたしもわたしの反応を自由に感じて

色んな世界を感じて

自分にとっての正解と

色んな正解を

まるくゆるくそのまんまビーズのように繋ぐのだ。

そしたらおもしろい世界がきっとどんどん現れるのだ。

ミニイクノダ。

 

 

カエル🐸のチャームが御神籤に出た

そのメッセージが

すこしわかった気がする^ ^

 

 

 

 

気が付いて

目から鱗

 

になる瞬間が

痛かった昔はいい思い出

 

許してね

 

今も痛いときあるけど

 

許して笑

 

 

 

今日は一日片付けと思っていたけど、

思いがけずのおさそいで久しぶりのお友達と会えることになり、そのまま夜のドライブ。

100キロほど離れた街まで曲がりくねりつつもスムーズな一本道。

はじめておじゃまするおうちで

我が家のようにごろ寝させていただき

愛情発酵ご飯

たくさんの愛と風を感じて

夜の港町を感じて

夜汽車で帰路につく。

 

いつも目から鱗

ありがとう❣️