知覚拡大旅行記 地球編

無限の可能性をひらく旅路の記録を綴ります。だれもが無限の可能性そのものである。

持ち物を選ぶ

部屋はこころの状態を表す、ってよく見かけます。

まさに私の部屋はカオスwこの人生じゅう、ずっとそうだったように思います。友達や当時の彼と住んでいたときはすこし減らしてた気もするけど、その時は実家に預けていたものもあったし、まぁ誰かと住むっていうこと、自分の持ち物がいろんなところに分散しているっていうこと自体考えてみるとエネルギー的には結構カオス状態です。今思い返すとどうしても捨てられないモノって、そのもの自体が大事っていうよりも(実際なくて困ることってそんなないし全然なんとかなる、愛はかならず残る。)宿っている思いへの執着なんだなぁと、引越しや断捨離を繰り返すたびに感じるわけです。

たとえば昔の思い出で、いくつくらいかなぁ?何歳かも忘れたけど、大好きなおじいちゃんが誕生日に買ってきてくれた当時の私の体より大きなくまちゃん。大きくなっても大事にしてて、ある時一緒に住むことにした彼が、持っていけないよ。リサイクルショップに売ろう。と言っていやがる私を連れて売っちゃったんですよね。しばらく、大事なものを無理やり捨てさせるなんて、なんてひどい奴だと何かあるたびに思い出しては逆恨みしてましたw。今となっちゃあそれが私の重すぎる執着や、依存心をひっぱがしてくれる衝撃的なきっかけになったわけで、そのほかにも彼のおかげで手放したものごとがたくさんある。おかげでほんと軽くなった。当時はわからなかったけど、そういう役をやってくれたことに今は感謝してる。モノがなくてもじいちゃんとの愛は忘れないし、ちっともなくならないことが分かった。

今、また手放しの時。今度は引越しで物理的に持っていけなくなっちゃった。一時的でもモノを減らす必要がでてきた。きっと、これからの私は物理的な空間をどんどんシンプルにしていくんだろうな。意識が昔に比べてだいぶシンプルになったから。必要なものは分け合えばいいし、シェアすればいいもの。見えない世界から本当に必要なものだけ取り出せばいい。いつだって目に見えない世界にあるので。この感覚ってホント心地いい。

作家のヤマザキマリさんのエッセイで知った言葉、”身ひとつ”。お気に入りのことば。みひとつ。この身ひとつでできることの可能性は無限だ。からだは偉大だ。モノを減らしていくことは、そういうことに気づかせてくれると思う。なにかがなくても幸せでいられる。幸せを世界に発信することができる。理想像である。だから私は歌うし祈る。この身ひとつでできることを増やしていきたい。思い出していきたい。

たくさんモノがあることもそれはそれなんだけど、いまは手放しのそういうサイクル。るるる~